ABOUT OSHO MEDITATION

 

 内なる科学の美しさとは、内側を探索し経験したい人は 誰でも ひとりでそれをすることが可能だということです。 これは、外側の権威への依存や、特定の観念だけを受け入れる いかなる組織や拘束に加わる必要性を、消し去ります。

 

一度あなたが一歩の足取りを理解したなら、あなたは自分自身 の力で、個人としてのやり方で、その歩みを始めます。

 

多くの瞑想テクニックが、静止して沈黙の内に座ることを要求し ています。

しかし、身体とマインドに溜まっているストレスの為、 私たちの多くにとってそれは困難です。ですから私達は、内なる意識の発電所に近づくのを望む前に,緊張を解き放す必要があります。

 

Osho アクティブ メディテーションは、抑圧された感覚と感情を 意識的に表現、経験し、習慣になっているパターンを 新しい方法で見ることができるように、長い時間をかけて Oshoによって科学的にデザインされました。 

 

 

 

◆なぜ瞑想するのでしょうか?

 

 瞑想とは、あなたが内側に、自分の実存の内なる中心に落ち着くための 方法だ。

ひとたびあなたが自分の存在の中心を見つけたら、自分の根と翼の 両方を見つけるだろう。根は存在の中にあり、あなたをもっと統合された人間、 個人にしてくれる。そして翼は、存在とつながることによって解き放たれる芳香 の中にある。その芳香とは、自由、愛、慈悲、真実、誠実、ユーモアのセンス、 そして途方もない至福の感覚の香りだ。 根はあなたを個人にする。翼は、愛することと、創造的であること、自分が 見つけた喜びを無条件に分かち合うことの自由を与えてくれる。根と翼は、いっしょにやって来る。それらは、ひとつの経験のふたつの面だ。その経験とは、 自分の実存の中心を見つけることだ。

私達はいつも、自分自身の実存から遠く離れたどこか別の場所で、いつも何か別のものに向かい、継続的に周辺で動いている。 これらすべてのもの、すべての対象が落ちた時、あなたが自分自身ではないものすべてに目を閉じ、マインドや心臓の鼓動さえも遥か遠くに置き去った時、ただ沈黙だけが残る。

 

この沈黙の中で、あなたは自分自身の中心に少しずつ落ち着いて行くだろう。 そしてその時、根も翼もひとりでに成長して行く。

あなたはそれについて心配する必要はないし、どうすることもできない。

それは、それ自体で起こって行くだろう。 あなたは単純にひとつの条件を満たさなければならない。 それは、家に帰って来るということだ。

その時、あなたにとって存在全体は至福に、祝福になる。

 

内なる革命は、自由をもたらす。そして、内なる革命を通り抜ける ただひとつの道は、瞑想だ。瞑想とは単に、あなたが今まで学んだ事すべてを忘れるのを学ぶ、という意味だ。それは、条件付けを取り去り 催眠を取り除くプロセスだ。

社会はすべての人々に、何千もの思考の重荷を負わせて来た。

 

瞑想は、単にあなたが思考の世界から沈黙の状態に入って来るのを助ける。

それは、あなたの過去を完全に清算するプロセスであり、あなたに押し付け

られ、内側に詰め込まれて来たすべてを空っぽにして行く。

 

ひとたびあなたが空っぽになり、内なる空間を持ち、静かに、そしてきれいになったら、その時革命は起こった。太陽は昇り、あなたはその光の中で生きることができる!

そして、あなたの内なる太陽の光の中で生きることは正しく生きるということだ。事実、それだけがただひとつの生きる道だ。

他の人々は、死に向かい、ただゆっくりゆっくり死んでいるだけだ。

 

あなたが静かに、意識的に、明晰になり、内なる空が光に満たされる時、

あなたは真実の生の最初の味を知る。それを神と呼ぶことができる。

 

光明を得ること、開放と呼ぶことができる。真実、愛、自由、至福の経験

と、呼ぶことができる。呼び方は違っても、その現象はひとつだ。

 

 

 

 なぜ、アクティブ メディテーションの必要があるのでしょうか?


現代人というのは、全く新しい人間だ。現代人の様な人は、今まで決して 存在したことがなかった。だからどんな伝統的なメソッドも、厳密には彼らに 用いられない。

つまり言ってみれば、すべての伝統的なメソッドは適切でなく なってしまった。

例えば、身体は大きく変化した。とても汚染され、どんな伝統的なメソッドもその助けにはならない。今、地球をとりまく環境全体が 人工的だ。大気、水、社会、生活をとりまく状況、何ひとつ自然ではない。あなたは人工的な環境の中で生まれ、その中で育つ。だから伝統的なメソッド は、今日では有害だと証明されるだろう。それらは、現代人にあわせて変化させなければならない。

 

もうひとつのことは、マインドの質が基本的に変化したことだ。

パタンジャリ(もっとも有名なヨガの注釈者)の時代には、人々の人格の中心は頭ではなくハートにあった。それ以前は、ハートでさえなかった。それはもっと低く臍に近いところ、あるいは、臍よりも更に低いところでさえあった。いまや、中心は頭にある。だから、クリシュナムルティのような教えが気に入られるのだ。 どんなメソッドも、どんなテクニックも必要ではなく、ただ理解だけだ。しかし、もし言葉の理解、知識だけだとしたら、何も変化せず何の変容も起こらない。

それは再び、ただの知識の堆積になる。

 

私は、整然としたメソッドよりむしろ混沌としたメソッドを使う。なぜなら 混沌としたメソッドは、中心を頭から下げるのをとても助けるからだ。 どんな系統的メソッドも、中心を押し下げることはできない。なぜなら、系統化 することは頭の働きだからだ。系統的メソッドによって頭は強められ、もっと多く のエネルギーがそこに注ぎ込まれるだろう。混沌としたメソッドをする時、頭は 無用だ。それは、頭とは何の関係もない。

メソッドがあまりにも混沌としている ので、中心は自動的に頭からハートに押し下げられる。もしあなたが、 ダイナミック メディテーションという私のメソッドを、力強く、

無秩序に、混沌と、行なうならば、あなたの中心はハートに移動する。 その時、浄化は起こる。 浄化は必要だ。なぜなら、あなたのハートは 頭の為にとても抑圧されているからだ。 頭があなたの実存の中であまりにも優勢になり、それがあなたを支配している。

ハートにはどんなスペースもなく、その切望は抑圧されている。あなたは決して心から笑ったこともなければ、心から生きたこともないし、心から何かをやったこと もない。頭がいつも系統化しに、物事を数学的にするためにやって来て、ハートは抑圧される。だからまず最初に、意識の中心を頭からハートに落とすため、混沌としたメソッドが必要となる。だから、ハートの重荷を降ろすために、ハートの抑圧を解き放つために、 ハートを開くために浄化が必要だ。もしハートが軽くなり重荷が降りたら、 意識の心はますます下に押される。それは臍に落ちる。臍は活力の源だ。そこからすべての他のものがやって来る、種の源だ。身体、マインド、そしてすべてが、そこから来る。

 

私はこの混沌としたメソッドを、深い考慮の上で用いている。

系統的方法論は、今や助けにならない。なぜなら、頭はそれを自分自身の道具として使うからだ。あるいは、献身的な愛の歌をただ唱和することは、今や助けにならない。なぜなら、ハートがあまりにも重荷を背負っているため、それが本当の唱和に花開くことはあり得ないからだ。意識が源に、根に降りなければならない。その時にだけ、変容の可能性はある。だから私は、混沌としたメソッドを、意識を頭から下に降ろすために用いる。あなたが混沌の中にいる時、頭はその働きを止める。例えばあなたが車の運転をしていて、突然 誰かが目の前に飛び出して来たら、あまりにも瞬間的な反応が必要なため、頭はそれに反応できない。頭には時間が必要だ。それは、どうすべきでどうすべきではないかを考える。

だから、あなたが事故の可能性を前にしてブレーキをかける時はいつも、臍の近くに何かの感覚を感じるだろう。あたかも、あなたの胃が出来事に対処しているかのように。事故によって、あなたの意識は下に降ろれた。もしもその事故が事前に推定されるものであったら、頭はそれを処理することができただろう。しかし、あなたが実際に事故に遭う時、何か未知のことが起きている。その時、意識が臍に動くことに、あなたは気づく。

 

もし禅の僧に「あなたはどこで考えるのか?」と聞いたら、彼は腹に手を置く。

西洋人が最初に日本の僧に会いに来た時、彼らは理解することができなかった。「ナンセンスだ! どうやって腹で考えるというんだ?」

しかし、禅の回答は意味深い。意識は身体の中のどのセンターにも使える。

本来の源にもっとも近いセンターは臍だ。頭は本来の源からもっとも遠い。

だから、もし生命エネルギーが外向きに動いているなら、意識の中心は 頭になる。

そして、もし生命エネルギーが内向きに動くなら、究極的には 臍が中心になる。

 

混沌メソッドは、意識をその根っこに押し下げるために必要だ。なぜなら、根からのみ変容は可能だからだ。さもなければ、あなたがいくら言葉だけを並べ続けても、変容は起こらないだろう。何が正しいのかをただ知るだけでは充分ではない。あなたは根を変容しなければならない。そうでなければ、あなたは変わらない。ある人が何が正しいかを知っているのに、それについて何もできない時、彼は二重に緊張する。彼は理解しているけれど、どうすることもできない。理解というものは、それが臍――根からやって来る時にだけ、意味を持つ。もし頭だけで理解したなら、それがあなたを変容することはない 。

 

伝統的なメソッドが、興味を持たれて来た。なぜならそれらはとても古くからあり、過去にとてもたくさんの人々が、それによって達成して来たからだ。それらは、私達にとっては不適当になってしまったかもしれないが、ブッダ、マハビーラ、パタンジャリ、クリュナにとっては、不適当ではなかった。それらは意味深く、助けになった。古いメソッドは今や意味がなくなってしまったかもしれないが、ブッダがそれによって達成したが故に、それらは気を引く。伝承主義者は感じる、「ブッダがこのメソッドによって達成したら、

なぜ私にもそれが起こらないんだ?」しかし今、私達は皆、その頃とは異なった状況にある。環境全体、そして思考の領域全体が変わってしまった。

 

すべてのメソッドは、ある特定の状況に、特定のマインドに、特定の人々に対して有機的だ。古いメソッドが有効ではないという事実は、どんなメソッドも役に立たないということではない。メソッド自体を変化させなければならないだけのことだ。現在の状況を見る時、現代人はあまりにも変わってしまったため、新しいメソッド、新しいテクニックを必要としているということだ。

 

                                Osho: The Psychology of the Esoteric, #4

 

 

 

 

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